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自分と繋がるダンス

キャンドルナイト

コンシャスダンスフェスティバルでペアワークをご一緒した方は、
大阪から来ていてたダンスの先生だった。
偶然近々名古屋でワークショップを開かれるとのことで、
これもご縁だと思い申し込み、当日を迎える。
場所は名古屋市中村区アクテノン。
演劇やダンスによく使われることは知っていたが、行くのは初めて。
駐車場探しに手間取り、焦って駆け込んだが、
会場のまったりした雰囲気に安堵した。

まずは先生である渉君から自己紹介を始める。
彼が踊り始めてから今に至る道を聴く。
ストリートダンスから始まり、上手くなりたい一心で進んできた道の途中から、
教わる、教えることに疑問を感じるようになり、
ジャンルを踊ることではなく、踊りを通じて心身を開放することの重要性に気づき、
試行錯誤した上での現在地であること。
幸せなことが一番大事という、全く圧の無い彼の語りを聴いて、
自分がここに運ばれてきたことに合点する。

私にとってダンスは、純粋な内側の発露でしかない。
だから人に見せる必要もないし(大体見せられるようなものでもない)、
上手くなる必要もない。だから練習する必要もない。
本当の欲求としては、邪魔されるもののナイ広い場所で、
ただ体の望むまま動いていたいだけ。

みたからを開くことによって、動きたいと訴え出した私の身体を自由にさせてあげたい。
身体の望むままに任せて動くようになったら、思わぬ新たな感覚を味わった。
今の精神だけでなく、過去の魂の記録とも連動している。身体はすごい装置だ。
いのちの根源にとても近いところからやって来る。
身体というものの不思議さ、繊細さに驚く。
この感覚ともっと親密になりたい。
これがなんなのかもっと感じたい。身体をもっと濃密に味わいたい。
なんなら、多くの人がこの感覚を味わえたらいいのに。そんな欲望まで湧いてくる。
だけど、これは教えてもらうようなものじゃないよな、、、

そんな感覚と同時に最近私の意識が向いているのが「教えない教育」。
変な言葉だ。言葉としては新たなデザインが必要だが。
「教えない教育」のヒントが、ダンスが現れる過程にあると感じる。
自分の体感でしかないけど。まだシッポも掴めてないけど。
ダンスを通してまた子どもたちに関われるようになったら面白いな、
と思い始めている。

だから私は参加するべくして参加したんだな。

最初のペアワークは「木とクマさん」
二人とも床に座り、背中をくっつけ合う。片方が木になりもう片方がクマになる。
クマは、木に好きなようにもたれかかる。木に触れながら気持ちのいいように動く。
木はただじっとそれを受け止める。そんなワーク。
私は初めに木にならせてもらった。
クマさんが私に背中を擦り付けてくる。
リラックスしてもたれかかってくる。
すると、何故か無性に気持ちがいい。
クマさんは自分が気持ち良くなるために動いているのに、
クマさんを受け止めている木である私がなんでこんなに気持ちいいんだろう?
なんでこんなに嬉しいんだろう?
クマさんの役に立っている自分が嬉しくて嬉しくて、
クマさんが自分に委ねてくれるその信頼感が嬉しくて嬉しくて。

木はコミュニケーションの達人だと、
植物のコミュニケーションのネットワーク力は凄いと、聞いてはいたけれど、
自分が木になって木の気持ちを感じるとはまさか思わなかった。
頼ってもらえることの嬉しさ、クマさんと一緒にいられる嬉しさがじわじわ溢れてくる。
私は木になりきってそれを味わうと同時に、
植物の持つ繊細で深い愛情を俯瞰的に眺め、感動していた。
その愛の大きさに心が震えて涙が溢れるほどだった。
ペアになってくれた方のおかげ。これは一人では決して味わえない。


次のワークの説明を始めた先生は、
自分が堅苦しい教えるモードになりかけているのに気づいて、
「違う違う、これは気持ち良くない」と言って、
いきなり話し方をこてこての大阪弁に変えた笑。
自分の大切にしている事から外れたことに気付けるセンサー、、
すぐに軸を取り戻すレジリエンス力は、さすが身体だけでなく心もしなやかなダンサー。
自分自身に忠実なところがすごく素敵だと思った。
そんな先生の姿を見て、教えない教育の基本姿勢は、
等身大の自分でいることなのかも、と感じた。
自分に肩書きをつけない。役に嵌めない。自分に忠実に、誠実に関わる。
その事がそのまま人への関わり方に現れるから。

次に面白かったワークが、パートナーから言葉で指示された自分の身体の箇所を動かすこと。
私の体の各部分はとてもおしゃべりなようで、
指名されたその場所は(例えば鼻の穴とか笑)大喜びで動き出す。
私はそれについていくのに一生懸命。彼らがこんなに自己主張するとは思わなかった。
ほんとに動きたがり屋さんで、また動きが面白くって。
私は自分の体のパーツに引っ張り回されて、でもそれが面白くってずっと笑ってた。
これもおかしな体験。あ、私の体の部分がそうだってことは、
私全体も出たがりで、自己主張がありありってことなんだよね!? 😆

そして次はペアで動くワーク。私はすごく苦手意識がある。
相手に心地よく動かせてあげられないとか、上手く呼吸を合わせられないとか
過去の体験からの思い込みがあるので、最初からこういうワークは嫌だった。
テレパシーも感じられない。上手くいかなかったことを先生に伝えると、
「実は、相手と繋がれる深さは、自分が自分と繋がっている深さと同じだったりします」と。
その言葉に軽いショック。まさしく!であります。

1時間半延長したWSの後は夜の部、キャンドルナイト。
一人づつ6分程度自由に踊る。その繰り返し。
参加者はダンス歴が長い人が多かったのは想定外で、ちょっと不安がよぎったが
別に上手く見せるためのものではないからまあ大丈夫。
実際、なんとなく流れに沿って、それほど緊張もなく出る事ができた。
最初は体に任せていたものの、体がふらついたりすると自分の体幹のなさが気になり始めたり、
終わりの時間を気にし出したりと、没頭できなくなってきてしまった。
3回出番があったけど、回を重ねるほどシラフになっていく感じだった。楽しく踊れなかった。
他の人のうまさに圧倒されたかな? いや、自分と繋がりきれなかったんだな。
最初の突破力は大きいのに持続力がないんだ。
「私にとってのダンスは内側からの発露である」という私の源にあり続ける力が弱かった。
なるほど。開き直れないんだな。うーん、全てに私のパターンが出る。
これを感じる事ができたのは、自分とさらに繋がる手がかりを得たということ。
大収穫ですな。

たくさんのキャンドル、素敵なガラスのティーポット、美味しいハーブティー
花瓶、お花、小腹が空いた時のためのスナック類、、、
特大のキャリーケースに詰め込まれ、持ってきてくれたこれらの品々は、
全て渉くんの繊細なあたたかさだった。

やさしいキャンドルの明かりは今も私の記憶の中にゆらめいている。




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